トピックス

2011年

7月は栃木県応援特集!
那須塩原市・大田原市・さくら市・那須烏山市・益子町
那須のにら/しもつかれ/大田原の唐辛子商品/島崎酒造
ヤシオマス餃子/高原ほうれん草/栃木和牛/喜連川温泉パン


※画像をクリックで拡大します



写真は7月おまかせコースメニュー
順に、栃木県特産オードブル/季節の野菜/ヤシオマス餃子と那須塩原高原ほうれん草/旬の魚/栃木和牛のあぶり焼き喜連川温泉パン添え/トントンとんがらしラーメン(冷製)

 ■■ 那須のにら ■■

栃木県は、にらの出荷量全国一位。
那須地域でも、にらの栽培が盛んで、「那須のにら」「天狗にら」といった名称で出ています。
「那須のにら」は肉厚でみずみずしく、香り・食感ともにやさしいにらとして人気です。
またテレビで話題になった「ニラそば」のような珍しい食べ方もあります。

 ■■ しもつかれ ■■

栃木県内に古くから伝わる破魔招福の祈りを込めた郷土料理で、大根・人参・酒粕・油揚げ・大豆・鮭の頭などを煮て作り、2月の初午の日に赤飯と共に稲荷神社に供え、家中の無病息災を祈ります。
呼び名は、しもつかれの他、すみつかれ、しみづかりなど各地で様々で、使う材料も少しずつ違う。
大根と人参は、竹や木で作った手作りの「鬼おろし」という道具でおろすが、栃木県人の生活の知恵がにじみ出ていて興味深い。近年、健康食品として見直されている。

 ■■ 大田原の唐辛子商品〜とうがらしの郷〜 ■■
    トントンとんがらしラーメン

大田原市の歴史的な経緯と関係の深い『唐辛子』に着目して、平成18年から『大田原とうがらしの郷づくり推進協議会』を立ち上げ、国産唐辛子「栃木三鷹」を使った商品の開発・研究に乗り出している。
全国に誇れる唐辛子商品の開発を進める中で、多彩な商品が誕生しました。
また、当協会では、衰退してしまった大田原産唐辛子を復活させようと唐辛子栽培農家の拡大を行い大田原の大地に再び唐辛子畑を広げられるよう努めています。
唐辛子麺は、麺に唐辛子を練りこみ独特の風合いです

 ■■ 島崎酒造 ■■

嘉永2年(1849)創業。2代熊吉が現在の那須烏山市に二百余年の歴史を持つ酒造庫を譲り受ける。
また熊吉が無類の相撲好きであったことから酒名も「東力士」と名付けられました。
那須岳より湧き出ずる清流那珂川の伏流水を仕込み水とし、良質の原料米と共に恵まれた自然環境の中で良酒を醸すべく、日々丹精込めた酒造りが自慢。
また貯蔵スペースとして、総延長600mの洞窟を使い新たなる酒づくりにも挑戦しています。
年間平均10℃前後、日光がまったく差し込まない漆黒の闇は“熟成酒”を造り出すにはこれ以上ない最高の環境といわれます。

 ■■ ヤシオマス餃子 ■■

「ヤシオマス」とは、品種改良されたニジマスであり、海をもたない栃木県が商標登録した栃木の魚です。
肉の色が県花のヤシオツツジの花に似ている事から命名されました。
また成熟しない(卵を持たない)ので、産卵期での成長の停滞と肉質の低下がなく、1年を通して高品質を保つことができます。
また、脂の乗りも良く中トロ並ですが、あっさりとしており、口当たりがいいというところも評判です。
脂質もDHAやEPAなどの高度飽和脂肪酸が主体で健康にも良い魚です。
ヤシオマスは、主に県内のホテル・旅館や料亭・レストランなどで高級食材として珍重して消費され、一般の小売市場にはほとんど出回らない食材です。
それを宇都宮名物の餃子と組み合わせてみました。

 ■■ 高原ほうれん草(那須塩原ブランド) ■■

那須塩原の産地は、標高800m〜1000mと他産地と比較して、標高が高く冷涼な気候な地。
葉肉が厚く緑あざやかな良い荷姿のほうれん草を選定しています。
さわやかな空気、水、大地に育まれた高原ほうれんそうを是非ご賞味ください。
地元ではその味わいをそのままに、しゃぶしゃぶで食べる習慣も。

 ■■ 那須和牛(那須塩原ブランド) ■■

栃木のブランド牛「とちぎ和牛」の中でも、那須地域で生産され、那須地域内で消費される地域ブランド牛を「那須和牛」といいます。
「那須和牛」は、首都圏や那須地域以外に出荷されると「とちぎ和牛」と総称されるため、お店に掲示されている“とちぎ和牛認定証”の生産者の住所が「那須郡那須町」「那須塩原市」「大田原市」と書いてあれば、那須地域で育てられた証。
お店の人に「とちぎ和牛でも、那須地域の生産だから“那須和牛”だね」と言えば、「このお客さんは、通だ」と思われるはずです。
「那須和牛」の特徴は、サシの入った霜降り肉キメが細かく、柔らかく、風味豊かな、旨みの秀でた味の芸術品です。

 ■■ 日本三大美肌の湯・喜連川温泉パン ■■

昭和15年、傷痍軍人として 帰国してきた笹沼昌一(当時23歳)は、徴兵される以前の東京の旭堂というパン屋さんでの経験を生かし、翌年より「これからはパンの時代だべ。」とパン屋を開業。
昭和23年頃、この小さな町には6軒もパン屋ができましたが、しかし、あさひ堂はそのサバイバルを勝ち抜くのでした。
昭和30年頃に学校給食用の食パンの余り生地を使ってその当時の職人さんたちといたずらに作って出来たのが、現在の温泉パンの原型なのです。
温泉パンという名称は、今から30年ほど前、町で温泉が湧き出たことからに由来します。
温泉パン自体は温泉のお湯を使用していませんが、その湧出記念として「温泉パン」と命名されました。
名前のない頃、このパンを買うお客さんは「フランスパンちょうだい。」と言ってお店に来たものです。
今年は喜連川温泉開湯30周年を迎えます。

staff only